2024年の繁忙期を終えて思ったことを、つぶやきのように一人で語っていく。
仕事が人生の目的の1つに繋がっているなら、満足度は高いと思う。
— Miori (@mioriescom) January 6, 2025
でも人生ってそれだけじゃないし、
「走馬灯が仕事だけ」にならないように
人生でやりたいことをやること・すきなことをする・楽しむこと
も同時に刻んでいかないと、
ある日「あれ?人生が終わっていた」なんてことになる可能性アリ
人生ってずっと繁忙期ですよね?繁忙期を言い訳にしない
繁忙期を終えて思ったことがある。
人生ってずっと繁忙期だよね。
ある段階が落ち着いたら、次のフェーズが待っているわけで
終了が始まりであり、決して終わりのない道。
あるプロジェクトが落ち着いたら、次の下落期に備えて種を蒔いておく必要がある。
ここで種を蒔いておかないと、下落相場の時に墜落するのは自分だ。
なので、次の波に備えて準備に入る。
この繰り返し。
ずっとこの繰り返し。
振り返ってみると、「自ら休憩することを選んだ時期」以外は、
人生ずっと繁忙期だ。
見通しが見えたら次の段階へ行き、クリアしたらまたその次の段階へ行き
どのジャンルでもそのエンドレスの繰り返し。
・・・それをさまざまなジャンルで繰り返していたら、
いつの間にか6年が経過していた。
6年も経過していた。
ということは
今までのように「ひと段落したらまた次の段階へ」と夢中で階段を登っているうちに
また6年経つ気がするのだ。
それが恐ろしい。
仕事に夢中に慣れているのはありがたいことだし良いんだけど、
走馬灯全てが仕事になるのだけは避けたい。
やりたいことをやって、好きなことをして、人生好きなように楽しむ
これが私の生きたい人生。
だけど、それを果たすためのツールである仕事に夢中になりすぎて
人生を棒に振りそうな気がして怖いのだ。
そうならないように、毎月毎月私はやりたいことをやって、好きなことをして、好きなように楽しむ人生にしていく。
毎月毎月。
楽しみを毎月6つは作ることにした。
自分のやりたいことを。
個人事業主はセルフブラックになりやすいので、
自分さえ受け入れれば寝ている時間全てが仕事になりやすい。
だからこそ自分を楽しませてあげる視点も大切。
おじいちゃんおばあちゃんになった時に「あれ、仕事しかしていなかったら、老後になってしまったのお」とならないように
後悔しないように。
今という素敵な時間を楽しみましょう(^0^)
私も皆様も、後悔のない精一杯の自分だけのオリジナル人生をお過ごしください。
繁忙期を終えて感じたこと:老後の疑似体験&虚無
繁忙期を終えて感じたことがあります。
達成前は「達成感があるのではないか?」と期待していたものでしたが
終わってみて感じたことは、実際とはやや異なりました。
もちろん、達成感もありました。
「えらいねえーーーー自分とっても頑張ったねえええええ(^o^)」
という自己効力感のUPと自己信頼のUPにもなりました。
ここまでは最高でした。
しかし繁忙期を終えて感じたことは、「虚無」でもありました。
まるで老後の疑似体験をしたようでした。
どういうものかというと
やり切って定年退職した後「あぁ、これでワシのやるべきことが終わった。・・・あれ、仕事を終えた後、ワシに残っているものって何じゃ?」
という状態。
これをまだギリ20代ですが味わいました。
私には愛する保護猫さんや親友ちゃんたちもいてかなり恵まれているので何も残っていないことはありません。
ですが、この感覚に陥りました。
「仕事を終えて老後になった時、何も残っていない」という状態には絶対にならないでおこうと誓いました。
自分にとって大切なものを大切にし、大切な猫さんもいて大切な人間関係もあって自分オリジナルの人生を歩んできた
そう確信できる老後になると誓いました。
私ならできる
老後・死というものは想像以上に心を蝕む
老後の疑似体験をしてみて思ったのは
「老後」や「死」を感じるということは、想像以上にメンタルがくるということです。
10代や20代のうちは、未来しかないので老後や死について想像しても実感が湧きません。
私もそうでした。
しかし私はもうすぐ30代になる身として、老後や死を実感できたのです。
これは想像以上に恐ろしい。
看護学生時代「老年の教科書」にて
50代後半から感じ始める「死への恐怖」という事実を知識として知りました。
【老年期の発達課題】
・死への恐怖
・自己の人生の統合
・絶望と後悔への葛藤
その時は「へええ、死への恐怖って自己アイデンティティを揺らがすほどそんなに怖いものなんだ」と他人事に考えていました。
その時は、その恐怖が想像すらできなかったからです。
しかし老後疑似体験をした今なら分かります。
あれは、何だろうな「私って人生で何してきたんだろうな。私がいることでこの世界は少しでも変わったのだろうか。小さな存在だなあ。無力だなあ」と悲しさでもなく虚無だけが残るのです。
あれが老後に来ると思うと恐ろしい。
でも私はなぜか今の段階で味わえたので、練習になったかしらと前向きに捉えています。
虚無への対策
私はこの一連を、虚無への対策としてまとめることにしました。
虚無への対策
・毎日毎日を精一杯生きる
・自分のやりたいことや好きなことを思いっきりやる
・自分の大切なことを見失わず、大切にし続ける
・躊躇わずにすぐに着手
・行動力が肝
これくらいしか思いつきません。
後は、自分にとって大切な人間関係は絶対に大切にしたほうが良いと痛感しました。
人間、どんなに強くても1人では生きてはいけないので。支え合いなので。
そして私の周りには、心優しい思いやりのある人たちがたくさんいるので本当にありがたいです。
これが私も最大の宝であり誇りです。
いつもありがとう皆様。皆様の綺麗な心のおかげで私は生きれています。ありがとう大好きよーー!
強く優しく生きていきましょう。
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