進撃の巨人【 作者の伝えたいこと 】ストーリーを踏まえて考察/ネタバレ注意

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今回は、アニメ進撃の巨人に関して「筆者が伝えたいこと」の考察(推測)をまとめました。

ネタバレも含まれているため、これから観るよという方はお控えください。


もう既に観て、結局筆者が伝えたかったことは何だろうなと考えている人のみ観てください。

(ちなみに進撃の巨人はまだ放送中ですが、壁を超えた先まで読んだ方はお読みください。壁を超えてないうちはネタバレになってしまうためお控えください。)

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筆者の伝えたいこと/推測まとめ

進撃の巨人のエピソードから振り返って考察しましょう。

(ストーリーや人物などを知っている前提でお話しします。)

伝えたいことその1:争い(戦争)の無限ループ

物語の最初は、エレンが巨人により母が食べられてしまうところから始まります。

そのため、人類は人類が殺されないようにと、全巨人を抜刀することを目的として活動していきます。


しかし巨人を抜刀するうちに気付くのです。

・巨人の正体は人であること

・ある液体(まだ解明されていない)を体内に入れると人が巨人化できること

・自分たちが住んでいる所以外にも人類が存在すること


そして自分たちが必死に倒してきた巨人=人間のため、人類は間接的に必死に人間を抜刀してきたのだと実感します。


エレンは初めて海を見た時、

巨人を倒したら俺たちは自由になれると思っていた。(しかし巨人は同じ人間だったし、世界にはもっと多くの人類が生存していたと知ったため)あとどれだけの人を倒したら俺たちは自由になるんだ?

と海を見続けながら疑問を口にします。


ここでは、作者は「自由を得るために争ったとしても、新たな敵が次々と現れて無限ループ」ということを伝えたいのではないかと考えました。


なぜなら、巨人の真実に辿り着くまでにも、次々と巨人が現れてきましたが、真実に辿り着いた後も戦いの世界が広がっていたからです。


エレンからしたら敵であるライナー達が戦争をしていたのは、エレンが住んでいる所だけではありませんでした。

他の国とも戦争を続けていることが「The final seasons(シーズン5-60)」で描かれています。


そのため、ライナーはマーレ国に使われている「戦士」であり、エレン達の敵だけではなかったことが分かります。

ここで初めて、この物語の世界では様々な争い(戦争)が常に行われていたのだと視聴者は悟るのです。


つまり、敵を倒したとしても次なる敵がいるし、キリがないということです。


実際、エレンはこの事実を目の当たりにしてから、目に明るさが無くなりました。


これは、現実の世界でも同様なのではないでしょうか。

目の前の敵を倒したとしても、次の敵が現れる、つまり戦争の繰り返しです。

敵を倒すことだけでなく他のことを変化させないとこの無限ループに陥ることがこの物語では表されています。

そのため戦争の蟻地獄の恐ろしさと無意味さを感じることができます。

伝えたいことその2:何かを得れる人は何かを失う覚悟ができる人だ

これは、戦士として潜んでいたアニ・ライナー・ベルトルト達との戦いでよく伺えます。

特に、女型の巨人(アニ)とエレンが戦うシーンでよく伝わってきます。


エレンが、同期の正体が実は巨人であり敵だったことを知って戦意喪失していると、アルミンがエレンにこう訴えかけます。

「この世界では、何かを失う覚悟のある人だけが何かを得ることができる。アニはきっとそれができる人だ。」


これはエレンからすると、今まで仲間だったアニと戦うことは、受け入れられないし悲しいし悔しいし情も移っているけど、それでも戦わないと自分の仲間が殺されてしまう、という状況です。

ここで決意をしないと両方失う可能性がある、もしくはもっと大事なものを失う可能性もあります。


それに対しアニは、元よりマーレ国の「戦士」として育て上げられた人だし、悪魔の末裔を滅亡するためだけに生きています。

それは、アニの回想シーンからも伺えます。

(アニが戦士として潜むことが決まった時に)父親がアニに対し「世界中を敵に回しても私だけはアニの味方だ。」と言い、抱きしめます。

アニは既に、苦しい感情や辛い感情があったとしても振り切って、戦う覚悟ができていたのです。


アルミンの言っていることは正しく、その覚悟の差があったのです。


これはアニだけでなく、ライナーやベルトルトのシーンでも伺えます。

ライナーは、辛すぎて二重人格(1人の中に2人の性格が生じる)の症状が出ていましたが、それでも目的を全うしていました。

そして何かを得ることができる人は何かを失うことができる人というのは、現実でも同様です。

それを良い例として教えてくれています。

また、これはエルヴィン団長のシーンでも伺えます。

エルヴィン団長は、より多くの人類を救うために、目先の何千人の命を犠牲にしてきました。

これは的確な指示ができるリーダーだからこその決断です。

逆にエルヴィン団長が命の犠牲を払って来なかったら、より多くの人類が亡くなっていたことでしょう。

必要な犠牲を払う必要があったのです。


しかし、その犠牲側になった人からは

「あなたに人の心はないのですか?」

「人じゃない」

「悪魔だ」

と罵られたりするシーンが多々あります。


おとりや犠牲は必要なのだけど、実際に犠牲にされた側の人々は不満が募るからです。


しかしエルヴィン団長は、罵倒されながらもより多くの命を守るために最前線で決断し続けてきました。


エルヴィン団長の最期のシーンでは、「これで良かったのかは分からない。死んだ方が楽だと思ったことが何度もあった。それでも進み続けてきた」と述べています。

エルヴィン団長も犠牲者を出すことは辛かったようですが、それでも多くの命を守るために決断してきたことが分かるシーンです。

このアニメは戦いの真っ只中で究極ですが、何かを得ることができる人は何かを失うことができる人ということは、作者が伝えたかったことの1つではないでしょうか。

(この事実を伝えたかった作者はどれだけ残酷な世界を見てきたのかた気になるところです。)

伝えたいことその3:弱肉強食の世界

これはミカサが拉致されたシーンや、エレンの成長で伺えます。


まず、ミカサが拉致されたシーンとは、ミカサは人身売されると悟り、人を殺さなければエレンが殺されてしまうというシーンのことです。

ミカサはこの時の回想シーンで、

・父親が家族のために七面鳥を獲ってきてくれた思い出

・蝶がカマキリに食べられているところを見た思い出

を想起しています。

そして、「あぁ、私が見ないフリをしていただけで、この世界は残酷だったんだ。」と語ります。

そして、エレンを助けるために人を切ります。


エレンの成長シーンでは、自分が弱かったばかりに母を助けることができず巨人に食われてしまった時に「俺が弱いばかりに何もできなかった」と実感しています。

その後も、自分を守ってくれていたリヴァイ班が巨人に殺されてしまったり等、エレンは様々なお別れや辛い出来事を経験しています。


ここではキャラクターの発言から考察していますが、実際はアニメ自体が弱肉強食の世界をもろに表しています。

観ていると心がずっしり重くなるシーンも多々ありますが、実際に戦争中の国ではこのような感じなのでしょうね。

現代の平和な日本では見たことのない世界が繰り広げられていると知ることができます。

まとめ

進撃の巨人のエンディングでは、シーズンごとに変化していますが、どのシーズンの曲も悲しすぎる曲調と歌詞です。

このことからも、作者は悲しい世界を伝えたいということを推測できます。


そして「war(戦争)」という言葉が含まれた曲が多いことからも、戦争について訴えたいのではないかと考えられます。


これら以外にも、進撃の巨人は残酷なシーンが沢山描かれています。

現在戦争とは無縁になっている日本では見られないシーンを観ることができます。

実際に世界では戦争中の国はこのような状況になっていると考えると、恐ろしいですね。

しかしこれが現実だなとも分かります。


いろいろお勉強させてくれる進撃の巨人のアニメに感謝しています。


関連記事→【 キングダム映画 】アニメの方がキングダムのストーリーの良さが伝わる

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