視野が広がる本【 天、共に在り(中村哲 著) 】次世代に引き継ぎたい本/学びを共有

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今回は、「天、共に在り」という、中村哲さんの本の学びを共有します。

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「天、共に在り」どういう本?

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現地30年の体験を通して言えることは、私たちが己の文言を知り、誠実である限り、天の恵みと人のまごころは信頼に足るということです。

道で倒れている人がいたら手を差し伸べるーそれは普通のことです。

なぜ、日本人の医師が1600本の井戸を掘り、25キロにおよび水路を拓けたのか?

内戦・空爆に見舞われた異国の大地に起きた奇跡。


・・・本のサブタイトルからもう気になりますね。

1人の日本人医師が、発展途上国で医師として活動しながら、井戸を掘り続けるという活動のお話です。


考え方がとてもお勉強になります。

素晴らしいなあと

惹きつけられる本

最初の文章からもう惹きつけられます。

様々な人や出来事との出会い、そしてそれに自分がどう応えるかで、行く末が定められてゆきます。

私たち個人のどんな小さな出来事も、時と場所を超えて縦横無尽、有機的に結ばれています。

そして、そこに人の意思を超えた神聖なものを感ぜざるを得ません。

この広大ないにしえの世界で、誰であっても、無意味な生命や人生は決してありません。

私たちにわからないだけです。

この事実が知ってほしいことの1つです。

現地30年の体験を通して言えることは、私たちが己の文限を知り、誠実である限り、てんの恵みと人のまごころは信頼に足るということです。

人の陥りやすい人為の世界線を超え、人に与えられた共通の恵みを嗅ぎとり、この不安と暴力が支配する世界で、本当に私たちに必要なものは何か、不要なものは何かを知り、確かなものに近づく縁にしていただければ、これにすぎる喜びはありません。


無駄な命はないよという文章です。

現在は、何おために生きているか分からない、人生の目的が分からない人が散見しているように伺えます。

その方々に、まず突き刺さる文章なのではないでしょうか。


著者は、現代の世界は、不安と暴力に支配されていると捉えています。

また、その中で、本当にあたしたちに必要なものは何か、不要なものは何かを知ることに焦点を当てた本になります。


小手先の技術などでなく、実体験に基づく考え方について論じられた本です。

壮大なのは新谷発展途上国の世界が目に浮かぶような、壮大な本です。

視野が広いため、現在視野が狭まっていると感じる方々にも為になる本になるのではないでしょうか。

本の目次

はじめに 「縁」という共通の恵み

序章 アフガニスタン2009年

第一部 出会いの記憶

第1章 天、共に在り

第二章 ペシャワールへの道


第二部 命の水を求めて

第3章 内戦化の診療所開設

第4章 第旱魃と空爆のはざまで


第三部 縁の大地を作る

第5章 農村の復活を目指して

第6章 真珠の水 用水路の建設

第7章 基地病院撤収と法人引き揚げ

第8章 ガンべり砂漠を目指せ


第四部 砂漠に訪れた奇跡

第9章 大地の恵み 用水路の開通

第10章 天、一切を流す 大洪水の教訓

終章 日本の人々へ

特に学びになった文章ピックアップ+考察

ここからは、私が個人的にあ学びが深かったと感じる文章をピクアップさせていただきました。

ピックアップさせていただいた文章の後に、個人的な考察を述べています。

学び①

患者から尋ねられた。

「生きることの意味感がないのです。先生はなぜ生きているのですか」という。

だが、改めて問われると、自分もよく分からない。

「仕事や昆虫の興味で」というのもまともな答えにならないし、「与えられた生命の意義」を説くほど宗教的でもない。

結局、その時々の状況の中で、義理や人情に流されながら生きているだけで、確たる信念を貫いているわけではない。

この時悟ったのは、「自分」や「個人」という実態があやふやなものだということである。

ヒトという生物個体としての自分はあるが、精神生活においては「自分」や「自我」と呼ぶものが、甚だつかみどころがない。

哲学者で精神科医のヤスパースは明快に述べている。

「一人で成り立つ自分はない。自分を見つめるだけの人間は滅ぶ。他者との関係において自分が成り立っている。」

それ以上の細かい議論はよく分からないが、少なくとも臨床医としての立場に立つ時、「意味は人間に隠されている。その隠された意味を人間が無理に意識しようとすれば、それは人為の造花になって虚構から免れない。不安は意識されることによって実現化する。悩むものに必要なのは、因果関係の分析で無意識を意識化することではなく、意識を無意識の豊かな世界に戻すことである」と、フランクルは近代的な精神分析の罠を警告している。

そしてこれらの派遣は、当時の私としては何かを納得させるものがあった。

理屈はさておき、「空の空、一才は空である」と聖書記者が述べるとき、「減少はすなわちそら、空はすなわち現象」と仏教徒が唱える時、同様のことが述べられているのである。

空とは虚無ではない。そこに「豊かさと神聖さを秘めたなにものか」なのである。

では、人間に隠された神聖なものをどうして人間が分かるのか。

精神科医フランクルは「良心が意味を感ずる器官だ」と言い、神学者カール バルトは神戸人の厳然たる序列といった異性、万人に通ずるオンの不変性を説き、人間中心の近代の自由神学を否定している。

言論は最も明快で、「これを知るを知るとなし、知らざるを知らずとなせ」「温故知新」だと、この消息を伝えている。


空の仕組みについて、人間には明かされていません。

仮説は立てることができても、解明はされていなません。

それに対して、「空は豊かさと神聖さを秘めたなにものか」であり、人間に隠された神聖案ものをどうして人間がわかるのか、と述べています。


つまり、この世のものだけでも人間には本当に理解できているものが少ないということです。

中村哲さんがこれを考えるきっかけになったのが、「結局人間は、与えられた生命の意義についてとくことができず、その時々の状況の中で義理や人情に流されて生きているだけで、確たる信念を貫いているわけではない」ということからです。


人間は誰も与えられた生命の意義について理解していないが、とりあえずその流れに乗って生きているということです。

これは事実だけど、日々生きている上であまり議題にも挙がらないし考える機会がありません。

私はこの文章を読んだことにより、確かに世界では分からないことがたくさんあるし(特に自然界)、不確実の上で生きているんだなあということを実感しました。


地球上に住んでいるが、その自然に関してもあまり理解せず生きているんだと思うと、世の中が不確実すぎて少し恐ろしくもなりました。

そして私たちは何も考えずただ何となく過ごしすぎだなとも思いました。

これに関しては考えても結論だ出ないことだと思うため考える時間も長すぎると生産性がなくなってしまうかもしれませんが、この前提を忘れずに生きるということは大切だなと思いました。

私たちは不確実性の上に生きているし、確実なことなんて無いに等しいのだということです。


だからこそ中村哲さんは、ここでの締めくくりとして「温故知新」を挙げているのかなと思いました。

温故知新とは、「以前学んだことや昔の事柄をもう一度自身で調べたり考えたりして、新たな道理や知識を見出し自分のものとすること」という意味です。

学び②

小高い丘から望むと、砂漠に囲まれる緑の人里は、壮大な天・地・人の構図だ。

厚い砂防林の森が、砂漠と人里とを、くっきりと分けている。

過酷な自然の中で、人間は身を寄せ合って生きている。

生頃与奪の権を持つ大自然を前に、つつましく生命を営む様子に、改めて「天、共に存り」という実感と、安堵を覚えるのである。

自然はしゃべらないが、人を欺かない。

高く仰ぐ原画、常にあることを実感させる。

絶望的な人の世とは無関係に、与えられた豊かな恵みが在ることを知らせる。


この文章から、人間は自然に逆らえないということが伺えます。

というか、人間は自然のおかげで生かされているということを実感できます。

地面の上に住居をつくらせていただいており、天の恵みの太陽で育ったお野菜をいただいており、雨により潤った水から水分補給させていただいています。

自然ありきで私たちは生きることができているのだと痛感しますね。

自然に感謝ですね。ありがとう

学び③

今、きな臭い世界情勢、一見勇ましい論調が横行し、軍事力講師をも容認しかねない風潮を眺めるにつけ、言葉を失う。

平和を願う声もかすれがちである。

しかし、アフガニスタンの実体験において、確信できることがある。

武力によってこの身が守られたことはなかった。

防備は必ずしも武器によらない。

1992年、ダラエヌール診療所が襲撃された時、「死んでも撃ち返すな」と、報復の応戦を引き止めたことで信頼の絆を得、後々までわたしたちと事業を守った。

戦場に身を晒した兵士なら、発砲しないほうが勇気の要ることを知っている。

「信頼」は一朝にして築かれるものではない。

利害を超え、忍耐を重ね、裏切られても裏切り返さない誠実さこそが、人々の心に触れる。

それは、武力以上に強固な安全を提供してくれ、人々を動かすことができる。

私たちにとって、平和とは理念ではなく現実の力なのだ。

私たちは、最も安易に戦争と平和を語りすぎる。

武力行使によって守られるものとは何か、そして本当に守るべきものとは何か、静かに思いをいたすべきかと思われる。


発展途上国に住んで活動している中村哲さんは、我々日本人よりは武力などによる危険な場所で暮らしておられます。

そんな危険な状況で生きている中村哲さんが、「武力によってこの身が守られたことはなかった。防備は必ずしも武器によらない。」と述べています。

実際に中村哲さんは、武力を高めて生き延びたわけではなく(むしろ武力ゼロ)、人々を医療で救うことにより守られてきたと述べています。

人々に恩恵があるからこそ、逆に守ってもらえたと考えられます。

本の他の文章にもありますが、例えば中村哲さんの活動内で人が殺されたときには、やり返してはならないという方針を貫いていました。

更に、中村哲さん自体が危ない目にあった時も、他の住民が「この人を殺してはならない」と守ってくれたため難を逃れたと語っています。


このことから、非常に危険な状況にいた先人が、武力でなく「与える」ことによって守られたという実体験をこの本で伝えてくれています。

これが、私的に胸を打たれました。

そしてこの実体験を世の中に広めてくれてありがとうと心から思いました。

なぜなら、戦争にて世界をおさめる方法でなく、「与え合う」ことにより世界をおさめることができるという明るい兆しに繋がるからです。

この実体験は、人類の希望です。

学び④

今、周囲を見渡せば、手軽に不安を忘れさせる享楽の手段や、大小の「権威ある声」に事欠かない。

私たちは過去、易々とその餌食になってきたのである。

このことは洋の東西変わらない。

一見勇ましい「戦争も辞さず」という論調や、国際社会の暴力化も、その1つである。

経済的利権を求めて和を損ない、「非民主的で遅れた国家」や寸土の領有に目をつり上げ、不況を回復すれば幸せが訪れると信ずるのは愚かである。人の幸せは別の次元にある。

人間にとって本当に必要なものは、そう多くはない。

少なくとも私は「カネさえあれば何でもできて幸せになる」という迷信、「武力さえあれば身が守られる」という盲信から自由である。

何が真実で何が不要なのか、何が人として最低限共有できるものなのか、目を凝らして見つめ、健全な感性と自然との関係を回復することである。

進歩だの改革だのと言葉が横行するうちに、とんでもなく不自由で窮屈な世界にあなったとさえ思われる。

しかし、変わらぬものは変わらない。

江戸時代も、縄文の昔もそうであったろう。

いたずらに時流に流されて大切なものを見失い、進歩という名の呪文に束縛され、生命を粗末にしてはならない。

今大人たちが唱える「改革」や「進歩」の実態は、宙に縄をかけてそれを四時登ろうとする魔術師に似ている。

騙されてはいけない。

「王様は裸だ」と叫んだ者は、見栄や先入観、利害関係から自由な子供であった。

それを次世代に期待する。

「天、共に在り」

本書を貫くこの縦糸は、我々を根底から支える不動の事実である。

やがて、自然から遊離するバベルの塔は倒れる。

人も自然の一部である。

それは人間内部にもあって生命の営みを律する厳然たる摂理で在り、恵みである。

科学や経済、医学や農業、あらゆる人の営みが、自然と人、人と人の和解を探る以外、我々が生き延びる道はないであろう。

それが真っ当な文明だと信じている。

その声は今小さくとも、やがて現在が裁かれ、大きな潮流とならざるを得ないだろう。

これが、30年間の現地活動を通して得た平凡な結論とメッセージである。


中村哲さんが30年間現地での活動を通して得た結論とメッセージが、貴重すぎてこの本を読んで本当に良かったと思えました。

大衆の人々と違う生き方をしている人は、大衆の人々とは違う景色が観れます。

その景色を観た人からの意見は非常に貴重です。


そう考えると、私は30年間現地で医療を提供し続けているわけではないし世界における挑戦をしているわけでもないし、本当に凡人中の凡人だなと痛感しました。

何の変哲もない個人投資家兼、趣味で猫さんの保護活動をしているだけで、何も変わった部分はないし、ありきたりすぎるなと自分を客観視できました。

ということは、私は中村哲さんのような景色を観ることができないのだということです。

抜きん出た景色を観ることができないと悟ることができました。

だからこそ私にとって、中村哲さんのこの30年間のメッセージは突き刺さりました。


凡人さを痛感したところで、私には私の個性があるから、それを生かして私なりの道を歩んでいこうとも思えました。

そして武力で守られることはなく、与えることで守られる人間になることにしました。

そして与えることで守られる人間がどんどん増えていくと、もっと素敵な世界になりますね。

感想・まとめ

歴史を振り返った感想

よく考えると、戦国時代は、昔は馬を利用して戦場で連れていき、人同士が殺し合っていましたね。

なんて愚かな世界なんでしょう。

人同士が殺し合っているのは自業自得だからまだしも、戦場に馬を連れていくなんて動物虐待すぎて今では考えられません。

権力を人殺しで判断していた時代だからこうなってしまったのでしょうね。


そしてその後は冷戦などで世界中で戦争をしていましたね。

戦国時代の、規模が世界になったバージョンでしょうか。

規模が大きくなった分、被害のスケールも大きくなりましたね。

人間は自分勝手なので、何も悪いことをしていない動物も巻き込んで平気で命を落とします。

戦争による人の被害もそうですが、自然や動物の被害もえげつなかったことでしょう。

そんな自然や動物への配慮を綺麗さっぱり忘れて、武力による権力争いに一生懸命になっていたのでしょうね。

中村哲さんの言葉を借りると、まさに裸の王様です。


現代は戦争もややおさまり(続いているところは続いていますが世界規模の戦争ではない)、今度は資本主義による権力争いになりました。

罪のない人間や動物が殺されていない分、改善されているのでしょう。

違う形での権力争いが始まったということですね。


そして中村哲さんは、このお金での資本主義ですら裸の王様だと述べています。

殺し合い・戦争・資本主義での権力争いを乗り越えた次の世代は、どんな世界が待っているのでしょうね。

歴史を振り返ると、地球は良くなっている(というか人間の暴走が落ち着いてきている)と考えられますね。

次世代の改善された風潮を願うばかりです。

願うだけでなく自分も行動し続けます。

本の感想まとめ

自分の小ささを実感できる、壮大な本でした。

それと同時に、私には私なりのできることがあるから、コツコツ続けてい苦ことにする再決意もできました。

中村哲さん、この本を書いてくださって本当にありがとうございます。

今後もこの本が後世に引き継がれていきますように。

そしてより素敵な世界になっていきますように。


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